大河ドラマ「べらぼう」~特別解説編‐7

~「蔦重の誕生を考える」~
「蔦重の誕生を考える」親なし、金なし、画才なしての、無いないないづくしの生まれから。“江戸のメディア王”として時代の寵児になった快男児・蔦屋重三郎の誕生を「NHK大河ドラマ歴史ハンドブック」より解説します。山東京伝は浮世絵師として世にでますが、蔦重重三郎のプロデューサーにより戯作者としてデビューします。以後、黄表紙、洒落本を手掛けるが、寛政改革による出版統制に遭い。読本作家に転身し、大成功を収めました。
<山東京伝の生い立ち>

蔦屋重三郎を出版プロデューサーとしてベストセラーを世に送り出た山東京伝は、宝暦11年(1761)8月15日に江戸深川木場の質屋岩瀬伝左衛門の長男として生まれる。本名は岩瀬醒、通称:伝蔵。作品「通元総構」に「金の魚虎をにらんで、江戸の水を産湯に浴びて、御膝元に生まれ出」。神田・玉川上水の産湯を使うと言う江戸自慢が書かれているが、京伝自身まさに生粋の江戸っ子であった。兄弟13歳の時、父が京橋銀座一丁目の町屋敷の家主になり、京橋に移る。山東京伝の筆名の由来は、江戸城内の紅葉“山”の“東”、“京”橋一丁目に住む“伝”と呼ばれたことによる。号は他に「醒斎」、「醒斎老人」、「菊亭」などがあり、狂歌名は身軽折輔と名乗った。

「江戸花京橋名取、京伝像」に描かれた山東京伝は、少し面長の顔に目鼻立ち爽やかなイケメンである。弟に戯作者として有名な山東京山の他に妹が2人いる。
<浮世絵師として世に出る>
山東京伝は作家としてより先に浮世絵師として世に出た。

十五歳の頃、浮世絵師・北尾重政に入門し、北尾政演を名乗る。安永七年(一七七八)18歳の時、富本浄瑠璃の正本「色時雨紅葉玉籠」(安永七年)の表紙に役者を描き、蔦屋重三郎から出したのが最初の画業であった。この時から蔦屋と京伝の関係が始まる。京伝は浮世絵師としても一流で。

天明四年に(1784)に蔦屋重三郎から吉原の名妓のスタイルブックス「新美人自筆鏡」を出す。またデザイン本の「小紋新法」なども手掛けるデザイナーでもあった。
記:鹿島美里(北海道大学専門研究員)
江戸探偵人
記:3月24日
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