べらぼう葛重栄華の夢噺‐12

~「俄なる『明月余情』」~
親なし、金なし、画才なし…ないない尽くしの生まれから “江戸のメディア王”として時代の寵児になった快男児・蔦屋重三郎。
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蔦屋重三郎は、天下泰平、文化隆盛の江戸時代中期。 喜多川歌麿、葛飾北斎、山東京伝、滝沢馬琴を見いだし、日本史史上最大の謎のひとつ“東洲斎写楽”を世に送り出しました。

NHK大河ドラマの関連本やネット情報より基本的な情報を記します。まずは粗筋の紹介です。

<第12回・粗筋・・・>
『青楼美人合姿鏡』が高値で売れず頭を抱える蔦重は、親父たちから 俄祭りの目玉に浄瑠璃の人気太夫・富本豊志太夫(午之助)を招きたいと依頼される。りつたちと芝居小屋を訪れ、午之助に俄祭りの参加を求めるが、過去に吉原への出入り禁止を言い渡された午之助は、蔦重を門前払いする。そんな中、鳥山検校が浄瑠璃の元締めだと知った蔦重は、瀬川のいる検校の屋敷を訪ねる…と言うのが話の粗筋です。

★登場人物の紹介★
<葛屋重三郎・・・>
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横浜流星さんが演じる葛屋重三郎は、幼い頃に両親と生き別れえと郊外の吉原で引手茶屋を営みます。駿河屋市右衛門の養子となります。市右衛門の息子・次郎兵衛が営む茶屋店・葛屋を手伝う傍ら貸本屋を展開。さらに、衰退著しい吉原の再興と女郎たちの生活向上を目指して出版業に乗り出します。池本問屋の抵抗に遭うなど、その道のりは、険しいが、幼馴染の売れっ子花魁・花の井をはじめ女郎屋の主人たち、発明家の平賀源内、幕府の要人・田沼意次など。時代の寵児たちを巻き込みながら、持ち前の機転と発想力で画期的な出版物を世に送り出していきます。

<午之助・・・>
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岡山天音が演じる倉橋格は、駿河小島藩に仕える武士。挿絵も文章も書ける戯作者。鱗形屋孫兵衛から出した、『金々先生栄花夢』は大ヒット、その後に続く黄表紙の先駆けとなる。本屋の新参者の蔦重とは、親交のあった朋誠堂喜三二の仲介で知り合う。蔦重とは次々と作品を出すものの、時代の変わり目で発表した『鸚鵡返文武二道』が、幕府の目に留まり、思わぬ事態となっていく…。

<西村屋与八・・・>
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西村まさ彦さんが演じる西村屋与八は、地本問屋の主人。蔦屋重三郎(蔦重)を利用して吉原の女郎をモデルとする錦絵「雛形若菜初模様」を制作し、その手柄を独占しました。多くの錦絵や美人画を手掛け、蔦重のライバルとして江戸の出版界を牽引していきます。

<平沢常富・・・>
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尾美としのりさんが演じる平沢常富は、出羽・秋田藩の江戸留守居役。吉原の常連で「宝暦の色男」の異名を持っていました。流行作家でもあり、戯作は朋誠堂喜三二、狂歌は岡持の筆名で知れていました。のちに蔦重の最大の協力者となります。

<大文字屋市兵衛・・・>
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伊藤淳史さんが演じる大文字屋市兵衛は、伊勢から江戸に出て、河岸見世の女郎屋経営から始め、仲見世に店を拡大・成長させた経営手腕を持っていました。女郎に安いカボチャをばかり食べさせてので「かぼちゃ」のあだ名を持っていました。 

<勝川春章・・・>
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前野朋裁さんが演じた勝川春章は、葛屋重三郎が手掛けた「青楼美人合姿鏡」を北尾重政と共に描きました。役者など似顔絵を得意とし、のちに葛飾北斎などを多くの弟子を抱えました。喜多川歌麿の美人画や写楽の大首絵に影響を与えた人物です。

<平賀源内・・・>
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安田顕さんが演じる平賀源内は、讃岐・高松藩の足軽の子でした。長崎への遊学などを通じて本草学(薬学)、蘭学、鉱山開発など多彩な知識を得ました。幕府の老中・田沼意次も惚れ込む異才の人。蔦屋重三郎の依頼で吉原への誘客に一役買いました。またエレキテル創りに没頭していました。

<鱗形屋孫兵衛・・・>
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片岡愛之助さんが演じる鱗形屋孫兵衛(うろこがたや・まごべえ)は、地本問屋の主人。吉原の案内本・吉原細見の改編を蔦重に手伝わせ、出版の基礎を指南しました。蔦重が出版業に本格参入すると、その商才を警戒します。「金久先生栄華夢」など斬新な出版物で対抗します。

<小田新之助・・・>
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井之脇海さんが演じる織田新之助は、御家人の三男坊で・・・とある理由で出奔しました。源内の多様な活動を手伝い、支えるようになりました。蔦重の案内で平賀源内と共に訪れた女郎屋・松葉屋で「うつせみ」に惹かれるのです。

<うつせみ・・・>
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小野花梨さんが演じるうつせみは、松の井、花の井らに次ぐランク「座敷持ち」の女郎。とある席で出会った平賀源内の助手・小田新之助と相思相愛の仲になります。松葉屋に通う金(玉代)がない新之助の為、きつい仕事も受け始めます。

<解説―1:廻状 >
改訂新版 世界大百科事典 より・・・
【一般的には、複数のあて先に対し、順次に回覧させる方法をもって同一の用件を伝達する文書の事。
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廻文、廻章とも言い、中世には、諸役への参勤や訴訟当事者の出頭を令する際に、この形、の文書が多く用いられた。近世では、領主や代官が支配下の村々に命令を伝える場合や、村々の日常的な連絡あるいは一揆への参加を呼びかける文書(一揆廻状)に、廻状が使用されたが、ふつう近世で廻状と言えば、前者を指す。多くの場合、一般的法規制にかかわる文書が触書と呼ばれたのに対し、廻状は年貢、夫役の徴収命令や臨時の通達などを主としたが、触書も普通は廻状形式をとって伝達されるのであり、古文書学上の区別は難しい。廻状を回す村は、十数ヵ村が一組となっており,各村では廻状を受け取ると,名主がその内容を〈御用留〉〈御廻状写帳〉などに写し取り、廻状に時刻を書き込んで次の村に回した。そして最後の村(留村)から差出者に返す定めであった。執筆者:安藤 正人】改訂新版世界大百科事典より・・・

<解説―2:すずめ踊り>
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から・・・
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【すずめ踊りとは、19世紀頃に流行したと言われる奴踊りの一種で、奴装束に笠をかぶり三味線と歌に合せ雀の動作を真似た踊りである。また、宮城県仙台市の仙台青葉まつりで踊られている踊りも「すずめ踊り」と名付けられている。 こちらの踊りは即興的要素が強いのが特徴である。】フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より。

<視聴率>
NHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」(総合、日曜午後8時ほか)の第11回「富本、仁義の馬面」が、3月16日に放送され、平均視聴率(ビデオリサーチ調べ、関東地区・以下同)は世帯9.6%、個人5.7%だったことが分かった。同回では、寛一郎さんが富本豊志太夫(午之助)役で初登場し、話題となった。 第11回では、「青楼美人合姿鏡」が高値で売れず頭を抱える蔦重は、親父たちから 俄祭りの目玉に浄瑠璃の人気太夫・富本豊志太夫(午之助)を招きたいと依頼される。りつ(安達祐実さん)たちと芝居小屋を訪れ、午之助に俄祭りの参加を求めるが、過去に吉原への出入り禁止を言い渡された午之助は、蔦重を門前払いする。吉原を出禁にされていた午之助。その誤解を解くため、りつは午之助に頭を下げる。謝罪を受け入れた午之助は、蔦重に頼まれ、普段は芝居小屋に行けない花魁や振袖新造たちの前で美声を披露。その声は天真らんまんな性格のかをりも涙し……と展開した。

<江戸案内>
佐竹藩上屋敷の石碑は現在、内神田2-14-6にある。
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去る昭和36年(1961)5月同所でビル建設の際、その地下3メートルのあたりから「佐竹家」の鐙瓦数枚が出土した。この瓦は扇に日の丸の紋もあざやかに金箔をほどこし、豪放華麗な桃山文化を継承した江戸初期の大名屋敷を偲ばせるものだった。この他鳩笛、キセル、塩壺、とっくり、盃、印鑑、土人形、木製上水道管など、多数の出土品を数えた。これらを後世に伝えるべく当時ビルの建築主、故金杉寅雄氏が、この石碑を建立したものである。現在はビルの所有者も変わったが、その石碑は幸いにも維持され、出土品の殆どは千代田区文化財保護調査員の渡辺浩助氏の尽力により「四番町歴史民族資料館」にて保存されている。これらの発掘により、慶長15年(1610)から天和2年(1682)の大火で、藩邸が下谷に移るまで佐竹家秋田二十万五千石の上屋敷がこの地にあったという歴史的事実が実証された意義は大きい。

参考)べらぼう葛重栄華の夢噺ー11 
➡ https://shin-digitaleye-edo.seesaa.net/article/511866230.html


記:2025年3月23日
江戸探偵人
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